写真を自分らしく撮り、自分らしく撮ってもらえる場所へ。
東日本大震災以降、僕は広告業界に携わって生きていくことにどこか息苦しさを感じていた。数ヶ月すれば業界はいつも通りに、いや、数日で、いつも通りに戻っていた。メールや電話は行き交っていた。僕はすぐに福島へ生き、母と東京にもどり、家族と京都に避難していた。部屋でテレビと部屋の天井を眺めてぼんやりこんなことを思っていた。
自分は無力だ
そんな最中でも仕事の依頼は続いた。ありがたかった。2週間もたった頃だったろうか。いよいよ東京にもどる。それに際して、みんなに会いたかった。話をした