その写真の「一瞬」は、一瞬にして成らず。
鈴木心の撮影のような手際の焚き火、これだね。
焚き火道具を積んでいた車が車検からもどってきた。
かっちり締まってきたね〜、なんて、早速焚き火へ。
ほどよい風に吹かれて、火が盛り上がる。
着火剤や割ってもらった薪なんて、焚き火じゃないっしょ、なんていう本格派の意見は置いておいて、僕は、 どんだけ早く着火できるかって言う方が全然美しいと思ってる。
焚き火は道具であって、焚き火を用いて、温まる、調理する、眺める、いろんなその先がある。道具を展開して、組み立てて、などなど、その作業自体にかかる時間を良しとする、手間暇至上主義の真逆にいる。
フィルムで撮る意味あるのか、
暗室で自分で焼かなきゃいけないのか、
そんな問いを、自分の人生時間に当ててみる。
そんなことしている場合じゃない。前にすすめ。そんな気がしている。
いや正確には、僕にはフィルムにどっぷりとつかった過去がある。
10年間しっかりやったんだ。だから振り返るんじゃなくて、その前に進む義務がある、そしてそれが定めだろうと。懐古したくなるときは、いつでもある。
あきっぽい
せっかち
めんどくさがり
これが僕の個性だ。その尺度に、今やるべきことを当てはめてみる。
ちげぇ、絶対にチゲぇ。
もちろんそのスキルはある、でもあえて、この個性に抗うよりも、この個性を活かして、唯一性を高めた方が絶対にいい。
ハイブリッドでもいい、どっちもやって、どっちもくっつける。二刀流だろうが三刀流だろうがとりあえず、ぶんぶん振り回して決めてみればいいじゃないか。それが自分らしいスタイルになる可能性だってある(いや、それはめんどい)。
道具を、工程をソリッドにしていくと、本質が見えてくる。
イチロー的な、宮本武蔵的な。
火吹きをするときに、息を吹き替える位置と量で、薪が、炭が答えてくれる。僕はこれがまるで写真館での会話のように感じる。向こうは燃えて酸欠になる一方、こちらの火の吹き方で、寿命すらかわってくる。
写真館のように薪の並べ方でも、風の吹き方でも、そんな火の向こう側にずーっと向きあった翌朝は、朝おきて、焚き火に顔を近づけすぎた遠赤効果で、ぼんわり暖かさが残ってる。
また朝がやってきた。次はいつ焚き火に行けるのだろう。そんな昨日の夜を振り返りながら、改善点に挑みに、またすぐに、焚き火にいく。
その場所は僕が大学生の時に通い続けた東京の果てにある無人島。そう、あのときも、毎晩、ここに撮影にきて、長時間露光をしていたんだったっけ。
そんな記憶を思い返しつつ。また火を見つめてみる。
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(編集・高橋慈郎、山田友佳里)
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