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「写真は、ただ」 そこにあるだけなのに。

先日開催した鈴木心写真店は「写真は読みもの」をテーマにした写真展です。写真販売、珈琲、写真道場、松陰神社商店街、写真でたくさんのものを巻き込んで繋げていく。その中心にある「写真を読む」こと。鈴木が北欧で取り下ろした写真、松陰神社前の風景と食べ物、お店、来場者が自宅に飾った写真の風景と感想、菊地敦己さんが参加した対談と鈴木心アシスタント卒業生が撮影勝負で激突、写真道場。とてんこ盛り。今回も懲りずに自費でまとめてみました。今日は、ちょっとだけそのご紹介です。だって明日から発売ですから!

「写真は見るものではなくって、読みもの」です。

自分と違う人間が見た風景、感じたこと、伝えたいことを読むための視覚的な資料。質の良い写真はいつまでも見ていられる。逆に質の低い写真は、一瞬で目の前を過ぎ去っていく。ランチ?自撮り?子供?ペット?空っぽな風景は、いつも。

「写真は、観る哲学書」です。

もし一枚の写真を文字で説明するとしたら、正確に伝えるために一体どれだけの文字が必要になるでしょうか。しかし、観る、一瞬でその情報をインプットできる。それが映像と写真の大きな違いです。一瞬でその哲学を、そして永遠に哲学的な一瞬を眺めていることができる。

写真は、あなたの「真」心を「写」します。

写真が語りかけるのではなく、人の数だけ写真への感想がある。そう、それはあなたが語りかけているのです。観る人の心情、時期で感想が意味がかわる。悲しい時には暖かく見えて、楽しい時には冷たく見える。あなたの表面を写すのが鏡であれば、写真は、あなたの内面をいつも映し出すのです。

「写真であそび、写真でまなぶ」

写真はおもちゃだ。その楽しさの中に学びがある。机上の空論は写真には必要ない。家の外に、そして自分の外に飛び出していく。写真は伝えるためにある。広げる、そして繋げる、常識の家畜よ、さようなら。今日から自分で考えて、野良の思想で生きていこうじゃないか。

「写真はライブだ」

みんなが写真を撮る時代。写真を見るだけじゃあつまらない。撮影を体験しよう。写真道場は撮影を観戦しながら学ぶ、新しいワークショップ。見て、笑って、撮られて、体感する写真。それが一番近道だということは僕らが一番しっているのだから。

写真でできること、すべて。

松陰神社前の商店街に店を構え、たくさんの刺激を受けてきた。通りがかり、ご近所のお客様は予想をはるかに超えて多かった。時より、声をかけてくれる。頂き物をする。写真が繋げてくれた縁がたくさんある。だからもっと広げていこう。商店街と写真館、商店と写真店。何ができるだろう。

写真は、ただ。

写真はただの紙だ。生かすも殺すも、使うもの次第。なのに、写真が嫌い、写真が下手、写真が、、、、。写真はいつも利用され、嫌われてきた。でも写真自体が意思を持ったことは一度もない。「写真は、ただ」そこにあるだけ。

写真が話してるんじゃなくてあなたが写真に話しているんだ。写真を見るものから、読むものへ。自分の知らない世界を知るための、どこでもドアとなり、そして自分の内面を写す鏡として。そんな写真のことを本当に知りたい人のために、また懲りずに、自費出版します。

まずは、明日からのコミケにて29、30日は鈴木心写真館の参加者に販売。31日はサークル参加なのでどなたでも購入できます。31日の場所は東T46a。

前回完売してしまった「撮影のしおり」に続く、鈴木心写真館ジャーナル第二弾「写真は、ただ」。今回も自己責任、自己満足、自費出版のため少部数の発行になります。オンライン発売は1月7日発送分の受注を開始しております。

もう一度だけ、ほら、いつも「写真は、ただ」そこにあるだけです。よね?

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