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フイルム写真よ、さようなら#8「いままで一番撮りづらかった役者さんは?」

いままで一番撮りづらかった役者さんは?

という質問をうけることがある。答えづらい。だからシラを切り通す。でも本当はすぐに思い出す撮影がある。奇しくもその写真が掲載された雑誌の印刷は2008年の9月22日。10年前の今日だった。

初めての仕事

「hon・nin(本人)」という奇妙な文芸誌があった。編集部はわずか2人。僕が駆け出しのころに任された、吉田豪さんの連載honnin列伝のインタビューの撮影。宮藤官九郎さん、中川翔子さん、麻生久美子さん、など錚々たる方々の生い立ちを赤裸々に語っていただくと言うもの。写真もその気迫に満ちたものでありたい、と撮影の時にはいつも肩に力が入っていた。

「寄りの写真って大っ嫌いなの。」

見せられた方が迷惑だと考えないのかなと思うんだけど。見たくない距離っていうのがあるのよね。ある種の品みたいなものをカメラが持ってないと。」

当時はまだフィルムの撮影でここぞとばかりに自然光、白バック、そしてシノゴを持ち出して撮ろうとした樹木希林さんのポートレイト。カメラをセッティングしたその時に、突き刺さった一言。

当時まだ写真の仕事をし始めて1年くらいだった青二才は、役者さんから注意を受けた経験がなく、この一言、今日までトラウマになっている。でも今振り返ると、その意味がすとんと胸に落ちてくる。

インタビュアーにインタビューする

誌面では、恋愛のこと、結婚のこと、仕事のこと、お金のこと、縦横無尽に行き来する中で、インタビュアーに「こんな内容でいいのか?」となんども確認してくる姿が記されている。読み手が楽しめるものを作りたい、そのためにはいくらでも自分をさらけ出す覚悟があると。

なんでもあり?

言いたいことは言う、やりたくないことはやらない。明快。網膜剥離や癌、そして離婚の話が顔を出す。生きることは死ぬこと、だから、言いたいことは言う、やりたくないことはやらない。集団で生きていくからこそ、そんなわがままを通し続けることは容易ではないのは自明だ。いま振り返ると冒頭の言葉も、注意ではなくって、意見だったんだ、と。

ところてん、とつぜん

インタビュー中、ご本人の意向で、休憩が挟まれる、その間に振舞っていただいたところてんと麦茶。場の雰囲気も和んだ。ずーっと、怒らせてしまったかなぁと不安だった僕もすっと緊張が解けた。写真の仕事を12年続けてきて、仕事で役者の方ご本人の自宅で食べ物を振舞ってくれたことは後にも先にもこの時だけでした。

ところてんが出なくても、最初におっしゃっていただいたことの意味を理解できれば、もっと良い写真が撮れたんじゃないかって、自分の読解力を悔やんでも仕方がなく、それはこれからに生かすしかない。

その後

テレビでお話ししている姿や、お仕事をお見かけするたびに、あのときのインタビューが蘇ってきて、筋の通りに自分が揺さぶられることが度々あった。そのくらいこの撮影は自分の中で、どこか、つっかかっていたものなんだと。

芸能界、人間力

よくSNSで素人の方々のプロフィールに「お仕事の依頼はこちらまで」なんで記載をみかけるが、もし芸能界相手に仕事をしたい場合SNSでの評価なんて無価値だと思って欲しい。芸能界(コンテンツ)と広告主(出資者)が頂点に君臨し、人間力が全てのこの世界は、いまだに昔ながらの礼儀を重んじる社会だ。人間として当たり前の礼節の上にこそ成り立つ「良い仕事」なのだ。

ある種の品みたいなものをカメラが持ってないと

トラウマじゃなかった。社会人としての「あたりまえ」を撮影を通じて教わっただけだったんだ。たしかに写真には品がある。自分が見せたいものだけどぶちまけただけのもの、あるいは切実に伝えたい気持ちが込められたもの。いま、そんな品に欠けた写真が氾濫している。

もしまた会うことができたら。だなんて、夢想しながら、あのところてんの味、どんなんだったっけ?と想像できるのも、写真の魅力の一つだと、ぐっと理解した。9月22日、は、あの日を振り返り今日を歩む僕だけの記念日なんだと思う。

そして、やっぱり

今回撮影した写真を振り返るにあたり、シノゴのフィルムを探したが、引っ越しのときにごっそり仕事写真のフイルムを処分したことを思い出し、のけぞった。まさに、フイルム写真よ、さようなら。掲載しているRAWデータを今の気持ちで編集したものである。

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