有村さんと、写真と、8年の。
写真の仕事は見つめること、伝えること
写真の仕事を始めて12年。その間、変化する風景をじっと見つめてきました。良い写真は伝わる写真。
先日発売の週刊文春。巻頭連載の原色美女図鑑の撮影は、自分と写真にとって一つの節目になりました。今日はこの写真をめぐるお話をできればと思います。
2011年
雑誌、若手の女優さんとデートする設定の連載。「趣味が読書」だからと半ば強引に段取られた開店前の池袋リブロ。朝早かった。冬のまっすぐな光に溶け込んでしまいそうな繊細さ。撮影中会話はなく「本を探してください、読んでください。」そんな指示ばかりで。店内の静けさとは裏腹に、窓の外には、いつも通りの時間が流れていた。
2013年
震災のあと、日本が前を向いて歩き始めていた。1日がかりの広告撮影で横浜を一回り。赤レンガ倉庫で写真を撮り、山手の西洋館で緑に包まれ、大桟橋で夕暮れを見つめた。透き通った目線は絵画のように美しく。CMの撮影と往来する密度の中、僕のコミュニケーションスキルが足りなくって、思ったようにクライアントの要求に応えられず、頭の片隅にあの日の事が今だに、いつも残っている。
2015年
1つ広告と1つの番組宣伝の撮影。夏に秋冬を、冬に春夏の撮影をするためタイミングによっては屋外はかなり過酷な撮影に。広告撮影のため細やかな指示や精度が求められる中、全く動じずにしっかりと現場を前進させていく重みと慎重さ。その傍らどこか遠くに意識があるような、有機的な時間。
ドラマにはまったく登場しない笑顔。そんな主人公たちがきっと持っているだろうとびきりの笑顔の記念写真。いくらなんでも、撮れるか?「高良くんと有村さんがしんさんなら大丈夫と言っているよ!」と初対面のドラマプロデューサーの村瀬さんに背中を押され臨んだ撮影。「今日はとことんやりましょう!」と久々に会った高良くんの笑顔に勇気をもらった。
笑顔になるたびについつい口を手で覆ってしまう。上品さゆえに、撮影が止まってしまう。素の笑顔なのに、本当の素ではいけない。演技の撮影は難しい。ディスプレイに表示された写真をぐっと見つめる二人の様子を、横目で探りつつ、また撮影を繰り返す。暖かいテレビの製作スタッフ、事務所関係者に見守られる中、満場一致で一枚の写真が現場で選ばれた。まさに。
アシスタント卒業生の神藤剛が撮影を担当し、沢山の思い出がつまった一枚。仕事じゃなくて、作品の一部、人生の一部。
2019年
国民的、そんな言葉がふさわしい。覚えているのだろうか。いつもの無理な撮影に神経質になっていないだろうか。そんな不安とどんよりした天気をよそに明るい挨拶と賑やかな衣装選びから始まった1日。広告では沢山のスタッフと過密なスケジュールで会話もままならないのに対して雑誌の撮影は比較的余裕がありしっかり行程を進めていく事ができる。ついつい色々挑戦したくって勢いよく切れるサイレントシャッター。暖かい時間が過ぎていく。
みんなの、良い写真
僕が最も信頼、尊敬する編集の酒井さんと、有村さんの事務所の井上さんが選んだ5枚。最初その写真を拝見したときに、本当にこれでいくの?と疑問符。家に届いた本誌を開き驚いた。良い写真ってこういうことか、と。
撮影者には必ずしも写真の決定権はない。むしろないことの方が多い。いや、しない。なぜなら、編集者の方が商品に近く、読者に近い。その意見を尊重したい。撮影者は撮ること自体がセレクトだから。
「新しい事に挑戦したい」
と有村さんは言っていた。僕はコーヒーに挑戦したい。おそるおそる現場でコーヒーを出してみると、みんなが美味しいと言ってくれた。それはまだ駆け出しのバリスタへの心遣いかもしれない。でも、もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。
写真の仕事は見つめること、伝えること
被写体はピッチャーで、写真家はキャッチャーである事。まず投球をしっかり見つめて受け止ること。今日引退する覚悟で臨むこと。でも、もうちょっと続けたい、かも。そんなわがままを思う事がたまにある。有村架純さんとの週刊文春の撮影はまさに、そんな新しいこと、挑戦することへ、勇気をいただく機会でした。
気をつけて、いってらっしゃい。
そんな言葉をかけられた気分。だから、思いっきり出発しようと思う。酒井さん、井上さんを始め、撮影に関わってくださった、そしてこの記事を読んでくださった、すべての皆様に感謝を伝えたい。
有村さんと、写真と、八年の、少し長かったようにも感じるけれど、振り返ると短いものなのかもしれない。そうなることを祈って、おもいっきり、いってきます。
最後にちょっとだけ。撮影の向こう側をもっと知ってみたい方へ。ここに書いてある2015年の撮影も2本掲載しております。
いやいや、写真は技術じゃなくって、コミュニケーションでしょう〜!という方へ。