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アートという視座を持っている人生、持っていない人生

季節の変わり目な悪天候続きで、燃えますね! 今日は京都で開催していた展示のレポート!森村泰昌さんの自撮り&現代美術という深い迷宮について

アクの強さを乗り越えた先にあるアートの桃源郷をしること

森村さんはご自身のキャラも強いですが、やってることもかなりのハードボイルドで、いろんなものになりすます。とくにアーティスト。つまりアーティストになりすます、アーティストなのです。

しかもフィルム時代から自撮り。僕が学生のときも濃口で苦手なタイプの作品だったので、基本的にスルーしてきたのですが、森村さんに写真を教えたアーネスト・サトウというフォトグラファーのインタビューに教育者として共感する部分があり、そこから森村さんに入っていきました。

森村さんがゴッホの絵画になりきって酸欠で倒れた笑い話や、なりきることでそのひとの人生の追体験ができるという自信の体験記、そして写真ではなく、芸術、とはなにか? と模索するお話など、見た目の濃さとは対照的なちょっとおもしろおかしく感じてしまう色々なエピソード。それを懐古しつつ、35年に及ぶ膨大なアーカイブの展示は胸に刺さるものがありました。

自撮りって微妙だよね

京都のカフェにいくと、着物をきた女の子たちがマグカップを見つめる演技をしながら、お友達に写真を撮ってもらう、そんな寒い風景(おやじ!)を何度も目にしてきたのですが、それと森村さんの自撮りって美学としてそんなに大きく違うかっていうとそうでもないんじゃないか、って許容することもできてしまったり。

現代美術の役割

展示空間には5つの入り口があって順路はない、、、800点をこえる写真と衣装、そして映像作品が、柔らかいカーテンの色と回廊で迎えてくれます。順路も見方も強制しない、まさに迷宮。いや、自由なんです。自分次第でどうみてもいい。それがエンタメとは違って、アートの面白いところなんです。ないでしょ?

考えるために美術館にいく

こんなに自由なことって。もちろんアートの文脈や、平面構成を読み解いてもよい。しかし、本当に読みとかなきゃいけないのは、こんな時代における森村さん的な生き方から、はっと学ぶこともあり、そして自撮りする若者に学ぶところもあり、とやっぱり、アート体験の前後で見える自分の価値観の変化、は、やめられないね!

次回は知る人ぞ、知る、かひつかん!
でのこちらの展示。
おそるべしフィンランドのスナップシューター、ペンティ・サマラッティさんの展示について、、、、、わすれなきゃね! わすれていたらリマインドお願いします!

今日の一枚:自撮り若者の聖地カフェ・ウォールデンウッズのベンチ空間、これうまい空間の使い方だったなぁ〜!

※こちらは鈴木心オンラインサロンSKOOLに2022年4月5日に投稿されたものです。

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