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フイルム写真よ、さようなら#4「写真集を作る理由」

身近な、大嫌いな写真集

僕が写真集を出そうと決意をしたのは、2007年のことでした。大学時代の友人であり写真家の遠藤俊介による『カンボジアの子どもたち』という写真集の出版がきっかけでした。

この写真集は遠藤くんが急性白血病にかかっていることが発覚し、彼が撮った写真をまとめるべくゼミ教授の大石芳野さんが中心となって製作が進められたもの。遠藤くんが亡くなる直前にベッドの上で彼自身によって完成が確認され、その数日後に息を引き取った、運命的な遺作です。

鈴木心写真館の原風景

ページをめくると、とにかく子どもたちの笑顔。大学時代毎年一年の半分は日本、もう半分はカンボジアで過ごしていた生活の中で取られた写真。本当は遺跡巡りのために行っていたカンボジアで出会う子どもたち(に限らず)を撮影した人物の写真集です。

マキナから軍艦島まで

当時2浪している僕の同級生にもかかわらず、3つ年上の遠藤くんはいろんなことを知っていて、カメラから旅行まで、遠藤くんの影響で買ったり、行ってみたところは数しれず。EOS1vからGR1v、makina67から、軍艦島からカンボジアまで色々なところを紹介、視野を広げてくれる兄のような存在でした。

ただ、遠藤くんの写真は好きじゃなかった。安直なバックパッカーの旅行記のような表層をなぞるだけの写真で、カンボジアで自前のバイクと携帯電話を持ち、現地語を話し、眠る遺跡を探索するくらいのカンボジア観の深度を出せるはずだ、とよくダメだしをしていました。モノクロのフィルムでとっていた遺跡写真ならまだしも、当時まだ過渡期のデジカメで撮影されたこの写真集を最初に見たときは、良くも悪くも軽さを感じたものでした。

人は死んでも、思想は...

でも、写真をよーく見てみると、この笑顔の子どもたちの瞳に映る遠藤くんがいることに気づきました。僕らの記念写真を撮るときのように、ときに気持ち悪く、おもしろく、変顔をして笑わせてくれる、ああ、カンボジアでもあの調子で撮ってたんだなぁと、急に切なくなってしまったのです。

そのときにハッと気づきました。表現としての写真だけではなくって、ものは人の身代わりになるのだと。人がいなくなっても、残されたものから僕らは人の温もりを感じることができる。遠藤くんがいなくなっても、僕らはこの写真集で、すぐそばに遠藤くんを感じることができるのです。たとえその作風がどうあれ。

順調の代償。

当時、ひとつぼ(現在の1-wall)や、写真新世紀、ニコンJUNA21、エプソンカラーイメージングコンテスト、などのコンペの入賞から、アマナへ入社し、1年3ヶ月でフォトグラファーに昇格し、順調に仕事をし始めていたときでした。そのせいもあって、作品といっても仕事用の作品撮影に精をだしていた自身に、緊急ブレーキがかかりました。写真をはじめて7年、作品は溢れるほどあるのに、僕は外に向けてまだ何もまとめていなかったのです。

その年末に会社を退社し08年末に写真集を完成させることができました。高校生の時に見た映画の影響で、明日は生きていないかもしれない。そう思って生きてきました。しかし、数少ない友人がある日急にいなくなる、本当に明日がなくなってしまう現実の体験はあまりに衝撃的でした。

あら がい と こう かい

遠藤くんの死を悲しむ声が多かった。当時、違和感を感じました。悲しんでいる時間があったら、自分が死ぬ準備をしてほしい、遠藤くんだったらきっとそう言うだろう。僕の中にいる遠藤くんとの対話が、強く僕自身の写真集の製作に向かわせました。遠藤くんの様に、僕がいなくなっても、僕を語ってくれるものを作りたい。それは作家らしいわがままでした。

そのわがままを十分すぎるほど聴いてくださったのがアートディレクターの菊地敦己さんでした。だれが買ってくれるか、じゃない。自分にとっての写真はこういうことなんだ、とぶちまけてしまおう。消失してしまうことの怖さへの抗いでした。あれから10年、幸い僕はまだ生きている。あれ?でも近くに、遠藤くんを思わせる人間がいる。

大学にはほとんど友人と呼べる仲間がいなかったので、遠藤くんが亡くなったという連絡が僕にきたのは葬式前日だった。当時仕事を入れていて、葬式に赴かなかった、これもそこに集う遠藤くんを悲しむ連中への抗いだった。でもそれは間違いだった、10年間、遠藤くんを思い出すたびに別れを見届けに行かなかったことをいつも悔やんでいる。

遠藤くんが残した、いたずら。

この後悔は二度としてはいけない。写真集を出さないで自分が死ぬことより、見送れなかったことの後悔が年を経るたびに強くなってくる。遠藤くんのいたずらだろうか。だから今日できることは今日やろう、今日もそんな思いで生きている。そういえば、お礼を言いそびれていたね、遠藤くん、いつもありがとう。遠藤くんがいなくなっても、まだ遠藤くんから学ぶことが多い日々を過ごしている、これも写真の縁なんだと噛み締めながら。

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