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フィルム写真よ、さようなら。#1

「ついに結論が出た」
ここ数年、インスタ〜写ルンです流行りの動向を眺めていて結構真剣に考えていました。自分にとってフィルム写真の在り方って。僕が写真大学に入学したのは2001年。この時はモノクロの撮影、現像、暗室でのプリントを授業にも出ずに四六時中行なっていました。それが、まだ「写真」の日常でした。

「暗室」
03年からは引っ越すとともにカラー暗室を自分で作り、学校にいかなくてもカラープリントに臨める環境を作りました。当時は結構こういうスタイルの方々がプロアマ多く、コスト、完全暗室環境や廃液に悩まされつつも本当に写真を愛している人たちの象徴として「暗室」は憧れの存在でした。

「効率か、デジタルか」
05年、会社に入社するとそこに待ち構えていたのは中判デジタルバック。
そこまでよくてもデジカメの一眼レフ(当時は初代EOS 1Dsや5D)なんかのまだ階調がなんとも言えない中途半端なデジカメVS手間はかかるけどやっぱり独特の風合いがあるフィルム写真。効率か、表現か、の極端な二択にフェイズワンのデジタルバック(P25,H25)に、度肝を抜く解像度、階調を見せつけられました。

「反動期」
フィルムや暗室の知識がなくても、だれでも綺麗な写真が撮れる時代がくる。そう痛感し、反動的にポジやネガフィルム、とくに大型カメラで撮影しまくったアシスタント時代、大学生のときから07年までの写真をまとめた写真集「鈴木心 写真」は今振り返ると、あらためてよくやったなぁとおもう全編フィルム(6X7や4X5)撮影の最初で最後の写真集です。

「ネガ最盛期」
00年代は商業写真の最前線でも、上田義彦さんや瀧本幹也さんを筆頭に、広告でも大型ネガフィルムを使うフォトグラファーが、また蜷川実花さん、ホンマタカシさん、佐内正史さんなどを中心に大多数のフォトグラファーが雑誌を主戦場としてフィルムでの撮影を行なっていました。当時TCKやホリウチカラーなどプロラボに行くと、いろんな方の名前が書いてある袋があって、あ!あの人とおんなじラボなんだ、とかいまこういう仕事しているんだ、みたいな情報交換の場になっていました。

「終わりのはじまり。」
00年代後半、ネットの普及、そして、リーマンショック。媒体、経済の状況が一変し、商業写真を巡る状況が激変し始めます。印刷物や媒体が売れない時代。同時にデジタルカメラのスペックが著しく向上し、直接レタッチ入稿できるデジタル撮影が標準化することで、とにかくコストが高いフィルム撮影を牽制する通達が出版社から発表されました。

「詐欺」
印刷物を巡る撮影料の他に感光材料費をして、フィルムやプリント代を水増し請求する金額にはそれぞれムラがあり、不当な高額請求するのが常識、結果そのために自家製の暗室を作って利益をあげたり、ひどい例では、ラボでプリントしたものにさらに水増し請求するというものありました。しかしその上限金額が規定され、デジカメでもいけんじゃん、という事実がフィルムである必然性を追い込んで行きました。

「絶滅」
10年代はじめ。フィルムの銘柄の激減、そして暗室に不可欠な印画紙もほぼ絶滅。そして値段の高騰。アグファ、ポラロイドなど個性的なフィルムメーカーから倒産し、続いて近年だとシェア最大のコダックが経営破綻へ。デジカメ市場も偏りが著しく、コニカ、ミノルタ、マミヤなど魅力的なものづくりに取り組むカメラメーカーは、チャールズ・ダーウィンの言葉通り、環境の変化に対応できず淘汰されてキャノン、ニコンのマッチョなメーカーのみが生き残りました。

「画一化」
本来、写真は、フィルム、カメラボディ、レンズ、現像ラボ、現像液、印画紙、引き伸ばし機、引き伸ばしレンズ、それぞれにいくつもメーカーがあり、撮影者は自分の好みに応じてその組み合わせを縦横無尽に変えられることで表現の個性とすることができました。しかしデジカメはこの全てを1つのメーカーで行うことで効率化することができます。キヤノンのレンズ、ボディ、センサー、ソフトウェア、プリンター。ソフト上で特性が操作できるとはいえ、フィルム時代からするとだいぶ制度化された表現になっているのです。

「第三の波」
10年代中盤。ネット、スマホ、全てが画一化されていく中で、やはり人は人間らしさを求めた。自転車、コーヒー、レコード、フィルム、不便なもの中にある深み、そして、ゆらぎ。時代が進むことで、見えてくるものそれは選択肢です。自分に合う選択をする感性があれば、今ほど良い時代はないのです。写真では古いレンズをデジタルカメラと組み合わせたり、スマホではなく、写ルンですで撮影したり、そういった逆流が始まりました。

「試練」
さて、そんな中もう一回フィルム撮影をしてみようと流行りにのり、インスタを初めてガンガンフィルタをかけてみたり、ニコンF2、マキナ67、マミヤニュー6、リコーGR1v、コニカヘキサーなど、学生時代から愛用してきたフィルムカメラを買い戻しました。(ちなみいままでのカメラ履歴についてはこちらに詳細が書いてあります!)撮るのは楽しい、マシンとして使うのもとっても楽しい。仕上がりも雰囲気があって最高!なんだけど、なんだこれ、みたことある写真ばっかだなぁ、自己満か?ってちょっと冷静にもなっちゃいました。

「原点へ」
結果すべてのカメラを売却し、ここ数年仕事で愛用しているソニーA7S一台に戻ってしまいました。なぜ?このカメラは、デジタルカメラでしかできないことしかしていない唯一のカメラだからです。A7sIIでもA7IIIでも、A9でも駄目。写真を初めて18年。待ちわびたカメラ、デジタルカメラでは珍しく、きっと写真史、カメラ史にも残る名機です。少なくとも僕自身のカメラ観と同時に写真の撮り方考え方すべてを覆してくれた道具です。フォトヨドバシさんのこの記事もまた別の角度から愛ある思いが綴られています。

「進み続ける」
僕は写真が仕事です。写真通じて豊かにしてもらった人生だから、今度はその役に立つために、懐古しない。進み続けよう。そう決意しました。早速5月31日。仕事用ではなく、自分でいつも持ち歩けるように、A7sを購入。。量のない質はない。森山大道さんのお言葉ですが、1日新宿でフィルムを10本強。大学時代この森山さんの量を超えたいと毎日10本撮っていました(自分で巻いた長巻のフィルムなので40ショットできました。)今は1日で800ショット。

「儚さの獲得」
2004〜5年にかけて、写真家の小林のりおさんを中心としたコンパクトデジタルカメラをつかい、ウェブで写真を発表する学生や写真家が爆発的に増えました。ギャラリーにいかなくても展示も鑑賞もできる、画期的なムーブメントでした。写真における学生運動のごとく、熱く激しいものでした。しかし、その学生たちが就職すると共に消失しその動きは収束します。デジタルカメラは、写真の夢。記録することではなくって、記録を完全に削除することもできてしまう写真、そんな儚さの獲得。小林のりおさんは、道具としてだけではなく、新しい写真の観念をデジタル写真に見出した第一人者です。飯沢耕太郎さんのデジグラフィという書籍に当時のことはわかりやすくかいてあります!

「おわらない、学生運動」
そんな時代錯誤の学生運動が今でもぼくの中では続いているのかもしれません。妙にフィルムに安住できない、居心地の悪さ。だから徹底的にそれに向き合ってみようと思います。いや、形にしていってみようと思います。多くは語りませんがこの池袋の飲み会写真はカメラを買ったその足で撮影したもの。よーくみてみてくださいね。僕にとっては、フィルムにはできないことだらけです。やっぱりあった、新しい写真が。

「フィルムよ、さようなら」
長くなりすぎてしまいました。でも自分の中では写真を初めて18年。ようやく一歩を踏み出すことができました。それが6月1日、写真の日だった、というのは単なる偶然です。かなりかいつまんで書いてしまったので、各部部については、追って補足をしていきたいと思います。では、今日も今日とて、みなさまが写真を楽しまれることを祈って。#1を締めさせていただきたいと思います。

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