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なぜ、写真館か。なぜ、写真学校か。

先日あった、鈴木の撮影3本立て。

  • 13名の熊本からいらっしゃった大家族

  • 韓国からの取材(毎度っ!)

  • とあるゲームクリエイターの方!

滋賀の出張写真館(9/16-17)でぐっと自覚した、「なぜ、写真館か」ということを自分に問いつつ、いや、自分の使命を確認しつつ臨んだ3本勝負。その決意は写真でお見せできる日がくるでしょう、と置いておいて。

とはいえ、スタッフ含めた、みんなの力であることは間違いないのです。そもそも、写真撮影を一人で、というのは、いろんな限界が伴います。ある程度の売上がでたら、いや出る前からアシスタントやスタッフのサポートを得るのは、そのコストや教育時間の労力を払っても、最終的に得するのは、雇用者。

いや、きちんと自分に返ってくるように、ちゃんと共育しないといけない、というのが道理なのでしょう。

写真:鈴木心

長く一人で、どうにかしてきた人は、これがとても不得手で、仲間を殺すような扱いを平気でする。相手のポテンシャルを見て、任せて、振り返る。教育にもっとも必要なのは、伴走する覚悟なのです。そうしなければ結局、そのコストも無と帰す。シンプルなことなのです。

いかに自分の時間に教育的要素を見出すか、というセンスも大切です。ぼくも、まだまだその時間を惜しんでしまう。ああ、いま録画しておけば、録音しておけば、なんてことのオンパレードですが、自分にとっては、普通のことも、他社にとっては価値がある。パンの耳、、、、、いや、耳のパン、、、、、、。

写真:鈴木心

写真館で撮影していて、おぉ、攻めるなあぁこの仲居さん(スタッフとして参加してくださる方)と思うことがよくあります。だんだん要領をえて、現場を俯瞰し、あれやこれやを注目し始める。そして、点でなく、箱で写真館がみえるようになる。

撮影者はつねに、スタジオの隅々まで聞こえていなければいけない、見えていなければいけない、実際に見なくても。パトカーを運転するには、まず、地面に雑巾を4枚引き、そこにタイヤを乗せて駐車する、そんな幅感覚が必要。それに似ているのです。

撮影をしながらも、周囲の空気を感じながらも。なーんて、最近自分が感覚でやってきている撮影の奥深さをあらたえて感じつつ、もうちょっと要素分解して、伝えられるようになれたらなぁなんて、思いつつ、自分は次のステージへ。今週も向かうのでした〜。


本記事は、鈴木心写真学校のオンラインサロンで鈴木心が書きおろしているコラムを一部転載しています。オンラインサロンにご加入いただくとすべての投稿を最新・最速でご覧いただけます。

写真館も、教育の場です。

たとえばお子様が幼いうちから目にする写真に、その子やご家族のありのままの表情がおさめされていたら。みんなで写真を撮りに行く日がいつも楽しい思い出になっていたら。

お客様の記憶に携わる仕事だからこそ、鈴木心写真館は、ふれるすべての体験が育む機会になるという気持ちで活動しています。

鈴木心写真館&ワークショップは全国ツアーを開催中。10月の大分、広島のほか、他の開催地は鈴木心写真館のPeatixからご覧いただけます。

写真の技術だけじゃない学校をしています。

受講生は100名以上。カメラを持ったばかりの方も、仕事にはしているけどステップアップしたい方も一緒に、写真で心を伝え合うワークショップ。

修了生もサポートしてくれるから、一人でやるよりも何倍もはやく、うまくなる。3ヶ月とは思えない変化を、ぜひ体験してみてください。

(編集・山田友佳里)


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