写真が語ること、写真で語ること。
極論、言っちゃいけないことほど言うべきなのかもしれない。
英語を理解すると、日本語が見えてくる。その中で、よくも悪くも、日本人をもっとも日本人たらしめているのは「遠慮」だということに気づく。
コミュニケーションが日本語にできないように、遠慮を英語にすることも難しい(できる人いたらコメントください)。
言いたい
言ったほうがいい
のに、言わない
このロジックをどうやって海外の人に伝えればよいだろう
助けたい
助けたほうがいい
だけど、助けない
よく、道端で、駅で見かける風景
顔に何かがついている
伝えたい
けど、伝えない
そういう風景を見続けるのが辛い
だったら取ってあげたいし、知らせたい
だからこそ写真が向いていたのかもしれない
「なぜ、こうではいけないんだろう?」
ということを言葉ではなく、行動で、視覚的につたえることができるから
学生のときは、それを態度であらわすとことごとく
先生たちに、力でねじ伏せられた
しかし芸術を通すと?
よく警察に、撮影中声をかけられると
「何のために撮っているんですか?」
ときかれる
「撮りたいから撮っている」
というのは事実でありながらNGワードなんだけど
そういっても向こうには通じない。仕事でも
SNSでもなんでもいい、撮ったものは何に載せるのだ?と。
でも、そこで相手に合わせる必要なんてない
それよりも、撮りたいから撮っている、と言う人間もいることを
理解してもらいたい、そこは遠慮しなくていい
だいぶ長い時間かかるけどね
と振り返ると、僕には、正義心に遠慮が勝ることはないのだと知る
〜したほうがいい
そう言う時には、遠慮なく言う
なぜ?
相手に敬意があるからだ
せっかく自分に何かを披露してくれている、伝えてくれている
そこに対して、
伝えたい
伝えたほうがいい
でも、伝えない
見殺しにすることのどこに、優しさがあるのだろう
海を越えればそういう世界が待っている
要る?
要らない
OK
そういう世界
だから遠慮なんてしなくていい
遠慮なんて通じない
目上のひとだから? 見殺しにする?
いや、目上の人だから、率直に自分の意見をするのでしょう
それが、敬意
問題は、失礼のない、「聞き方」と振る舞いをすればいいだけなのだから
だから海外でのコミュニケーションは楽だ
遠慮ではなく、敬意、あとは正直につたえること
それだけ
言ったら傷つくかな〜
そんな遠慮の積み重ねで、僕たちの周辺には
勘違いした大人に溢れ、こうやってより気疲れする世界をつくってしまった
むしろ正直ものが生きづらい、世の中に
写真には言葉も遠慮はいらない、実力のみ
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(写真・文:鈴木心、編集:山田友佳里)