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写真家は、震災とどう向き合うか。

学生のころ天災が起これば、どこでもすぐに向かった。

メディアを通じては感じることの出来ない、あの迫力を間近に体験することで、ここで「おこったこと」を実際に感じ、その力を知る。

もちろん写真にも収めるのだけど、それはあくまで「おこったこと」への考察にしかすぎなく、ここにひきおこされた本当の力は、当事者以外には知ることは許されない。

今回もすぐに行こうとした。でも渋滞や、迷惑だとか、むしろ生な現場の情報が多すぎて、自分が行くべきではないかも、と躊躇した。(オンラインサロン金沢勢には連絡していた、、、)もう半年も経って、こうやって現場に来て、思うことは、直後とその後ではだいぶその場の情報量が異なることだった。

そりゃあ当たり前、なんだけど、輪島の火災現場を見て、8ヶ月も経っているのに、まだこんなに何も手付かず、ということには驚かされる。それだけではなくビルは倒壊して道を塞いでいても放置され、地盤沈下で飛び出たマンホール、街によっては、一体が避難中というところすらある。

だからどちらかというと、あの日のことが保存されているといえば、保存されてもいるが、だからこそ、余計に脳裏に直後のことが思い浮かぶ。状況が風化され、どこまでが本当の「おこったこと」なのかがわからない。

ただ、一つ一つの場所や破片から、ここでこういうことがおこったんじゃないか、と想像しつつ、ただただ、歩く。自己検証をしたいわけじゃない、一体ここで、何がおこったのか、なぜおこったのか、写真を眺めながら、みんなが、これはなんだろう?と想像するように現場を歩く。

想像することが人間らしさ。意見を言わないのは死人と同じだ、とフランスでは言われる。いないのと同じだと。どうように、考えることを失った人も、いないのと同じだろう。どんな考えでもいい、想像でもいい、それをしてきたからこそ、人間は洞穴ではなくって、宇宙に飛び出したわけだから。つかみずらい、いやむしろ近寄りがたい、海の中のトゲトゲの中に、食べ物が入っているだなんて、ウニをみて、割り、食べた、偉大な人間もいたおかげである。

僕が被災地にいくのは、記録や作品のためじゃない。写真は言い訳に違いない。それよりも、その場に起こり、そしていなくなってしまった「おこったこと」の痕跡から「想像すること」のために、赴いているに違いない。

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このコラムは、鈴木心写真学校オンラインサロンで公開しているものを抜粋して掲載しています。鈴木心の最新情報、撮り下ろしの作品や未公開動画もチェックするならこちらから!

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(文・写真:鈴木心、編集:山田友佳里)

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