写真がうまくなるために僕がしてきたこと。
僕を僕たらしめている2つの言葉。
高校生の時に、大好きだった南米の革命家、チェ・ゲバラ。彼が愛される理由は大きく2つ。万対数百、の絶対的に不利な状況でも絶対に諦めなかったリーダーシップ。そして課題感。
もう一つは、革命成功後、政治家で安住せず、またさらなる革命闘争に赴いたこと。
その著書『ゲリラ戦争』は、テロリストの本棚に必ずある、と言われている、闘争のメソッドが記されている、けど、この本の価値は、火炎瓶の作り方よりも、その精神性の記述に真価がある。
僕は高校生のころ、すでに絶版(いまは復刊)になっていた本書を隣町の図書館から借りて、借りるだけでは読むだけでは満足できず、いつも携帯していた。その後アメリカ留学が決まった時には英語の勉強だと思い、ゲバラの記事を英訳した本を携帯しいつも眺めていた、そんな中に現れたのがこの文章だった。
人は言葉を信じすぎている
言葉は他者に伝えるためにある
しかし、何を他者に伝えるべきか、
その思考が欠けている
だから、自由が丘や恵比寿の昼のカフェの、おしゃれママさんたちのトークはきつい。あれだけ話しているのに、両者に何も広がりが生まれていない、話したいから、話している、それはあまりにひとりよがりすぎる。
断食の先生は、つらい、おなかすいた、みたいな言葉、呼吸や、舌打ちなども、口から出すということは、公共の場に晒すことと同義だと。受け取りたくない人にも届いてしまう。だから、みんなの前でどう振舞うべきか、まず自分の問うて欲しいと。
不平不満を言うのであれば、やればいい。ずっとそう思ってきている。人は誰かの何かの責任にして、諦める理由を探している。そして、その癖がいつしかついて、永遠とそれをし続けている。その先になにがあるか? 降り続けるだけなのに?
写真学校にいたとき、
海外に写真撮りにいきたい
写真展やりたい
写真集つくりたい
言うのは自由だったが、誰一人、それを成し遂げた人間を見ていない。
アマナ時代、
この仕事したい
機材ほしい
作品つくりたい
言うやつに限ってやらない。
社会に出て、
またお願いします
次は大きなお仕事で、ぜひ
そのほとんどは実現しなかった。
その場しのぎ、言葉のほとんどはそうだから、僕は言葉に厳しい。その言葉から相手の心理が読み取れてしまうから。だから、なおさら感じる
言うことの最良の手段は、やることである、と。
言うやつは、やらない。
そして、言うけど、やらない民で集っていく。
さて、あなたはどうだろう?
僕にとっては言うよりも、やるのが随分と易しいのだ。
写真は、やるが易し。
できない理由を探すよりも、やりたい気持ちを大切に。カメラを持ち始めた方ばかりの方でも大歓迎。
「鈴木心の写真がうまくなっちゃうワークショップ|ベーシック」は、この1冊から生まれました。どんな教則本よりも即効性が高く、根本から効く、写真の処方箋。
本記事は、鈴木心写真学校のオンラインサロンで鈴木心が書きおろしているコラムを一部転載しています。オンラインサロンにご加入いただくとすべての投稿を最新・最速でご覧いただけます。
当サロンは写真に活きるコミュニケーションの練習の場。独りよがりな写真から抜け出したいなら。全国の仲間と写真で語ろう。
(編集・山田友佳里)