見出し画像

いつのまにか、エッセイスト、鈴木心

「1年に3冊ペース」
人知れず、一昨年より怒涛の物書きをしている。一昨年の12月に写真の作例が一切のっていない活字のみの写真の教則本「うまくなっちゃう7のこと」そして去年の夏に「撮影のしおり」年末に「写真館のあゆみ」そしてこの春に「撮影ノート」。どの本も原稿は一人で書き上げる。

「言葉の素数で」
大学生のときに、写真家の畠山直哉さんに自分の作品のことくらいは自分の言葉で説明できるように、と教えて頂いてから言葉に興味を持った。小学生でもわかるような言葉で。そう、言葉にできるということは、自分も理解しているということ。かっこいい、かわいい、なんておおざっぱな言葉じゃ、具体的なことはなにも伝わらない。

「物を語ること」
末期ガンになってから人気急上昇の幡野広志には、観衆は写真じゃなくて物語を見ていると教わった。だから言葉は写真を伝えるために重要なのだと。

お世辞でも各件で編集の方から、うまい!とは言われなかったが、心さんしかかけない文章だと言って頂いた。うまい写真よりも、心さんらしい写真、といわれたほうが安心するからきっと同じ受け止め方をしてもいいんだろう。

「工芸、まち、歩き」
2017年の1月から、20本ほど、北国新聞で写真と文章の連載をしてきた。今月で終わり。金沢にスタジオを持っていたり、大学で講師をやっている縁から、頂いた仕事のテーマは町と工芸?まぁいいか、26歳のときから書籍版の美の壷50巻、雑誌ミセスでは北欧アンティークの特集を8年、婦人画報では着物の連載、和楽では茶の湯の特集の表紙巻頭を3回連続、正木美術館の記念誌、から銀閣寺の定期刊行物、赤木明登さんからくるみの木、はたまたテレビ番組の工芸コーナーの撮影を150本やってきたんだから、何かは語れるだろうと始まった。

「工芸、まち、飽き」
正直工芸には飽きていた。田舎暮らし、手仕事への陶酔、懐古主義、ギャラリーのしくみや、土地のしがらみ、誰に会ってもどの作品みても窮屈だった。かくいう僕は手が音痴なので、自分の手で何も作ることができない。ミシンを縫えば反れていき、釘を打てば曲がる、絵を描くたびに写真でよかったと安堵する。

「ディグ・イン・ザ・工芸」
そんな中、工芸で生きて行くことを選んだ生き様が見えてきた。自分の好きなことで生きて行く、それは必ずしも楽しいだけではすまない、生き方だった。なにが影響を与え、どこにむかっていくのか、作品のことは置いておいて、そんな生き方を教えていただく、だったら万人に伝わる企画になるじゃないかといつのまにか製作方法そっちのけで、人生に聞き入った。

今日はそんな中から、自称ビジュアル系ガラス作家の高木基栄さんの回をまるっと転載したいと思う。普段会話で「普通は」と使ってしまうそこのあなた、にはぜひご一読頂きたい内容である。それではいってみましょう。



鈴木心の手練手シゴト (この由来聞かないで!)
「普通じゃない、フツー。高木基栄さん」 金沢市牧山町

 今年の初め僕の写真教室の参加者が末期ガンで余命を宣告された。長くて3年。彼は入院を拒み、不自由な延命よりも自由でいる幸せを選んだ。普通だったら長生きが幸せかもしれない。それは辛さや痛さ、そして本当の意味での死を知らない観客席の想いだろう。一度しかない、この一寸を大切にできれば、短命だろうと長命だろうと幸せな人生だと思うのが、僕にとってフツーだ。さて、前置きが長くなってしまったが!

 普通科って何なんだ!と疑問を抱いた高木基栄さん(33)は工業高校デザイン科への進学がフツーだった。絵、陶芸、漆、織、彫金。手先の器用さには自信があった。目をつぶったままでも作品を「工芸」という土台に載せる自信を、「ガラス」は見事に地面に落とし粉々に打ち砕いた。

「最初から表現したいものがない」。重力と熱と素材との対話で生み出されるガラスの有機的な造作行為、展示やコンペに向けて拵える設計図は、締め切りより大分前に引く。制作中により良いものを作ろうとすると結局、設計図通りにはいかない。着地点は己の創作絵日記ではなく、ガラスとの対話の軌跡。これが高木さんのフツーなのだ。

 内装業を営む実家が物作りの原風景だった。突然「学校よりもこっちの方が大事だ。今しかないんだ」と学校を休ませ、スーパーカミオカンデの見学に連れ出してくれた。普通よりも「今」を大切にするのが自営の父のフツーだ。そりゃそうだ!

ビジュアル系ガラス作家?工芸作家といえば、工房では作業着、展覧会では正装がお決まり。今年に入り、作品を紹介する際にはメークするようになった。中2の林間学校で延々と聞き込んだ「X JAPAN」の「紅」。自分のルーツに素直であること。牧山ガラス工房が創作に没頭するレコーディングスタジオであるならば、展示会場はお客様と接するライブ会場なのだ。

音楽は詩や曲に共感して成立するビジネス。「分かる人だけに分かればいいのは、下手と一緒」。器でも道具でもない。びよーんと伸びたり膨らんだりしたガラスとの対話の証。高木さんの言うように無意識の境地かもしれない。でも無意識でいようとする意識の形かもしれない。そんな深読みするのが僕のフツーだ。

さて、今日もみなさまの普通じゃなくてフツーな1日をお過ごしになることをお祈りしつつ今回も、筆をおきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?