みんなで考える。「良い写真」ってなんだろう
ひょんなことから始めたみんなの「自分にとって良い写真」をめぐるニンテンドースイッチプレゼント、コンテスト。みんなが考える「自分にとって良い写真」をtwitterに写真付きで投稿していただくというものです!その中一名にスイッチを差し上げる、、、んだけど、何基準?それは鈴木の納得基準ですね!
じぶんにとって・よい・しゃしん
良い写真という言葉を分解すると(よい・しゃしん)。(しゃしん)は自分が見たものを伝える道具。(よい)というのは、きちんと、伝えたいことが伝わったもの、というのが僕の教科書的な理解です。(自著:写真がうまくなっちゃう7のことより)
では自分らしい、とは?人と違うこと、独自の解釈であってよいことですが、肝心なことはその独自解釈を読者が理解できる内容に翻訳できているか、ということです。
写真表現も同様に、一方的なコミュニケーションが多く、自分の好きな写真なのに、過小評価されている、と感じる時の多くは、写真が自分の視点を捉えられていないか、自分の定義する「良い」部分が他者に伝わっていないかのどちらかです。
では早速いただいた投稿を拝見していきたいと思います!(投稿時系列順)
言葉の素数
上記のように「自分にとって良い写真」を分解すると、要点が見えてくるのですが、曖昧な言葉を使うと難解になってしまいます。「かわいい写真」「きれいな写真」とかわいい、きれいとは?いつも以上の瞬間を捉えた写真、であればなんでもいいのか、と、写真自体を構成する、光や構図などへの説得性も低く結果その論理は非力になってしまいます。
箇条に整理して
写真自体には触れずに、写真を通じてのコミュニケーションに言及。そうなんです!写真というのはあくまでコミュニケーションの手段にしかすぎなくって、伝えたい!という気持ちと、なんでだろう!というワクワクを増幅できる装置だと思います。しかし!投稿された写真はかなり説明的なので三角。
ところで、コミュニケーションって?
確かに写真は美しさを伝えるための道具だと思います。言葉にできない、何かを伝えるための道具。となると、美しさとは何か?その美しさを見つめる「想い」って、なんだろう。そういう言葉の割り算が残ってしまいました。お写真はボクシングのみに絞られていますが、ボクシングと同じくらい美しさを感じる別のもの、たとえば風景とかと連携させたほうが、ご自身の美的感覚を伝えやすかったはず。
表情っていいなぁ
感情を撮影するのに、設定と構図は必要ないのか?というツッコミはおいておいて、モノクロにしたことで色の要素に阻まれないストレートな表情の表現がとても印象的ですが、これこそ、モノクロという設定と、まんなか構図の賜物。写真が良いだけにおしいです!
空気感、、、、、、、、、
よく仕事の撮影現場でも聞く言葉なのですが、空気感ってなんだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!雰囲気のことでしょうか。だとしたら雰囲気と空気の違いってなんでしょうか。でもそういう見えないものを扱うからこそ、技術や再現性は重要である、というご意見はごもっともです!
しゃべらせる写真
ありがとうございます。そうですよね、いい写真ってなんだか喋りたくなっちゃう。それは仕事でも写真館でも自分でもいつもそうです。でもね、なんで会話がはずむんだっけ?ということを説明できたら、もっと良い写真について具体的に自覚できるんじゃないかと思います。僕は、知ってるんですけども。
良い写真とは、良い写真である。ソクラテス的な。
難易度マックス
感情、個性、バックボーン、表現、ストーリー、空気感、陰影、人生、経験、無意識、想像、自然、、、、とまずは、一読しただけで意味がわからない、、、、。もし訂正してよければ、シンプルに、みんなの心が感じる写真、ですむと思います。解説をつけるよりも、解説もいらない、シンプルな言葉が一番強いのです。
いくつかの論理
整理します。
・偶然見つけた人によって生まれた非日常(日常ってなに?)
・写真を撮らなかったら忘れていたかも(そんな小さなこと?)
・撮ったから気持ち(非日常?)を思い出せる
・見る人の心にのこる写真が良い写真
ということだと思うのですが、きっかけ(非日常)〜良い写真までの滑走がうまくできていなくって、破綻気味です。ただお写真は鏡を用いられていて、こっちの世界とあっちの世界が行ったり来たりで一見どういう目線の交錯なのかわからない不思議なお写真です!
そういうこともあると思います!
見た人が?
思い出す、想起する、話したくなる、きっかけになる。とてもシンプルに要点がまとまった文章ですっと入ってきました。ただ、お写真の彩度の高さが、のみこめなくって、綺麗な風景写真、ということを強要されているような気持ちになりました、きっとこんな演出しなくても、よい写真だったのではないでしょうか!
写真の力、言葉の力
あああああああ!丁寧な文書とシンプルな写真、これぞ!と言いたいところなのですが、写真で説明できていることを、文章に書いてしまっていて、なんでしょうか、サビでタイトルを連呼されるような感覚、、、、。保留です!
忘れられなくなる写真
いいですね!写真館みたいな潔いキャッチコピー!ただ、写真って見返してみると、ほとんどの写真を撮影した瞬間を思い出すことができると思いませんか?僕はそうです。だから、そうかなぁ〜という疑問がのりました!でも、撮った日がわすれられなくなる、はすべての写真に言える素敵な言葉だと思います。
しくみの話
でいえば、そうなんですけど、僕はみんなが感じる良い写真にはエモーションがあるとおもうんです。撮影者や被写体、その場所の熱量。そういう意味ではこれは新聞にものらない、自分のためだけの資料みたいな写真だと思います。そういう写真が流行った時期もあったのは確かなのですが。
良い、と、好き、は違います。
人間は忘れる生き物
どうでもいい写真にも長い時間が経つと、あーとっておいてよかったなぁなんておもうことが多々あります。ですから人にとってはすべての瞬間が思い出になり得るのではないでしょうか。
エモーションは、
2つの文脈があって、一つは記録+感情のお話、もう一つは自分の感情のお話。しかし投稿していただいている写真はそこまでの剛性がなくって、結構普通な写真だった、、、。感情ってね、表情に宿ると思うんです。だからどかっと寄った方がおっしゃっているような写真と理論が符合するのではないかとおもいます!
写真は読み物です
写真を読める人は、撮影者の眼差しが追体験できるようになる。これがもしかしたら鑑賞する一番ディープな醍醐味かもしれません。今でいう心のVR。それが理屈なしに、みるだけでできちゃうメディアは他にはないのではないでしょうか?という結果ディープな理論になってしまっていますが、僕はとても共感しています。僕は、、、!
ありがとう
うれしいですよね、写真を通じた、ありがとう、って。僕はこのお写真を拝見して、江本さんのお人柄に触れたような気がしました。それでちょっと、うるっと、ほっこりとして、やっぱり、ぽろっと、言いたくなりました。ありがとうって。
自分にとっての良い?から始まる。
心が動く瞬間
ですね、感動というのは感情が動くことですもんね。ご自身は何に感動するのか、ということも写真を見れば一目瞭然ですね。言葉と写真の使い分けがとてもうまい!でも多くの人に伝えるためには具体化する必要があるのではないかと思います。表に出す出さないはおいておいて。写真にしか表現できないことってなくって、言葉での理解を辞めてしまっている部分、そのなんとなく、をつきつめていくと、どこかにあるんじゃないかと思うんです。言葉が。それを自覚すると、自分の写真の間合いがもっともっと他者に近くなっていくんです。
未来から振り返る
どんなに説明しても、写真は見る人がその人の価値観で勝手に見ちゃう。そのときによく、写真が話しかけてくる、と表現する人がいるんですけど、あくまで自身の生い立ちや価値観が話しているのであって、写真が話しているわけではないんですよね。そういうことも踏まえて言えば、写真が喋り出すというのは、的確な表現だと思います。でも、当時の当たり前っていうのは万人にとってはないもので、当たり前、ほど恐ろしいものはない、とも言えます。
さて、自分にとって良い写真
いかがでしたでしょうか?言葉にしてみること、そして相対的に眺めてみることでいろいろなことが見えてきたのではないでしょうか?僕は言葉で理解することは感情や状況の「なんとなく」を「伝えやすく」するためのものだと思うので、ゲームのように言葉化することを日常的に楽しんでいます。
今回の鈴木心賞は、、、、、
こちらの投稿!江本さんのお人柄と、快さ、それが文字と写真に現れていて、ディスプレイを超えて、そんな心を体験させていただきました!とっても上質!ということでスイッチは江本さんに、、、とおもったのですが、本当にスイッチが必要で投稿している感じがしなかったので、問い合わせさせていただくと、無用とのこと、、、、ありがたき、、、、、。なのでスイッチはちょっと惜しかったこちらの投稿へ!
もしかしたらこのお子さんとスイッチするのかも、、、というこちらも後ろ髪ひかれる想い、、、、、で、もしよかったらお役立てくださいませ!
いや〜楽しかった!
note書くのも久しぶりだけど、文字は文字の楽しさがある、と改めて。スイッチはないのですけど、定期的に行えたらおもしろいかもしれません。その時は是非ご参加くださいませ!最後にちょっとだけ宣伝!