写真の学校をつくろう。
そう思ったのはいつの頃だっただろうか。写真を取り巻く環境がこんなに激変しているのに、まだ一般の「写真学校」では昔の慣習を引きずっている。フィルム時代のことを写真と呼ぶのであれば、デジタル時代は、もはや写真ではない。よくみかける、あれ
※写真はイメージです
そう、写真はイメージなのだ。フィルムに紙に定着させて改ざん不能なわけでもなく、撮ってから、現像して、、、なんていうプロセスもなく、撮った瞬間に確認でき、電送できてしまう、その合間に修正や合成が入り、もはやカメラを通さずとも、AIで生成したものを、なんてことでも写真になってしまった、ほらね
※写真はイメージです
そんな、今の波に乗って行く、斜視の波乗りのようなスリリングさは、むしろ楽しい、楽しい写真は、良い写真、いや、楽しいイメージは良いイメージ? あれ? なんだこれ、、、、。
うちのワークショップではデジタルの使い方を説明することを省いている(いやティーチング・アシスタント、運営の対応によってサポートはされている、、、、)のはそのくらいの使い方(車のエンジンをいれて、ペダルを踏むくらいまで)は、自分で試行錯誤してみては? なスタンスとも言えるんだけど、そのくらいの好奇心はあってほしい、という期待でもある。
そんな右も左も、な始まりだったとしても、この山を駆け上がる気合さえあれば、いままでの違う風景を見せることができるだろうという、3ヶ月を構想したとき、そのタイトルは、塾でも道場でもなく、これは、写真学校になるのだ、と確信した。
先日の写真館力強化演習では、新旧のワークショップ修了生が一堂に会し、それぞれの撮影を見守り、応援し、教えあう。一緒に歌い、寝ぼけ、疲れて、見送り、また再開する。ワークショップが授業なら、演習は部活。インターハイを目指して、みんなが切磋琢磨する。そんな風景を見て、これは学校以外のなにものでもない、と。
実際の学校を作るのには、一体どのくらいの時間がかかるのだろう。僕たちの場合は3年だったろうか、コミュニティの名にふさわしい、それぞれが共に育み合う、そんな場所はそうそうないだろう。写真では、全くないかもしれない。
かくして、写真の学校はみんなの手で形作られる。震災のあと、福島の小学校で3年間その授業に携わり、思った。学校は先生、生徒、そしてその家族の絶妙なバランスで構成される、僕は、あのときを思い出す。まさに僕たちの写真学校もみんなの絶妙なバランスで、育まれていくのだ、と。
すべての生命の歴史で途絶えなかったように、この写真学校はみんなによって、継がれてくことを祈って。
鈴木心写真学校の修了生と撮影イベントを開催!
「鈴木心の写真がうまくなっちゃうワークショップ|写真館」の1期生で、現在はじまる写真館(@hajimaru_ps)の屋号で活動する山﨑滉平さんとコラボ! 大分県のsuzunari coffeeにお邪魔し、鈴木が撮影をさせていただきます。
鈴木心のワークショップを2時間で体験できるやさしい写真教室も同時開催! 九州のみなさま、ぜひ遊びにいらしてください!
全国の写真仲間と育み合おう。
3ヶ月で写真がグッとうまくなるワークショップは、写真館とベーシックの2クラス。機材の取り扱い以上の、あるいはそれ以前のところから。
「なぜ写真を撮るのだろう?」「写真で何を伝えたいんだろう?」そんなあなたの真ん中にある想いをクリアにする技術が身につき、目的が見つかります。
ワークショップのあいだをつなぐのは、オンラインサロン。
そして、本記事のような鈴木心の書きおろしコラムが、全文、最速で読めまるのもここだけ!
(写真・文:鈴木心、編集:山田友佳里)