鈴木心写真館、松陰神社前の小さな旅。#11 「All About My Croquette」
世田谷線の松陰神社前駅を降りて、ほんの20秒ほどで現れるその店。カフェのような佇まいだが、そのドアを開けると香ばしい揚げものの香りに心が踊らされる。
編集された現代的スタイルと昔ながらの手作り製法
オーナーが好きだという、スペイン映画のタイトルから来ている店名。ネーミングにもそんな洒落た要素が詰まっているこの店は、長く編集業を営んでいたオーナーが始めた、一風変わったコロッケ専門店。店内に入ると、ちょっぴり懐かしい雰囲気のあるショーケースに商品が並ぶ。
「今日は、ポルチーニ茸のチキングラタンと牛タンメンチ、マッシュルームチーズメルトメンチあたりが出ているかな。チーズ系が人気です」この他にもビーツとクリームチーズ、エビバニラ……など、聞きなれない個性的なメニューが多く、何度訪れても驚きのあるラインナップ。
コロッケ作りの工程が見える、オープンスタイルの厨房。切ったり、こねたり、揚げたり、その作業が人の手で行われているという安心感と料理の楽しさとがうかがい知れる。ここで作られ、オーダーごとに揚げたてで提供されるコロッケをひと口食べれば、誰しも笑顔になってしまう。
ユニークなコロッケで満腹に
店内では、スープやサラダとともにコロッケを味わえるプレートやカレー、ハンバーガーなど、ランチタイムにぴったりのメニューが提供される。かく言う私たちも、「12時に行くので、3人分お願いします。カレーとプレート、コロッケはおすすめで」と昼食を任せることしばしば。
テイクアウトも、もちろん可能。その専用ボックスやショップカードには、さまざまなタッチのキュートな手描きロゴが。「オーナーが依頼したロゴ案がどれも可愛くて、全部使おう!と採用されたんです」このあたりにも、これまで編集業で培われた力が活きている。
「レシピを作って」と言われたはずが……
「店の立ち上げ前にコロッケのレシピを作ってほしいと声をかけられ、一緒に働くことになって。前店長が辞めた後は店長も引き継ぎました」というのは、現在の店長である田窪さん。いつも笑顔で迎えてくれる。
一時は、会計事務所でOLをしていたという彼女だが、それ以前には代々木で自身の小料理屋を営んでいた。当時の常連客だったのがこのコロッケ店の前店長で、「コロッケ屋をやるんだけど……」と声をかけられたという。「面白そうなので週1〜2回手伝ってみようかなとオーナーに会ってみたら、『会計事務所を辞めて、うちで働かない?』と言われたんです」
やはり飲食業界が好きだという思いの強さからOLを卒業し、この店に参画した。そして、彼女が店長になったのは2017年の夏。以来、もうひとりのスタッフ、そして時折手伝いに入るアルバイトとともに、この店を守っている。「一任されているので、自由にできるのはありがたいことです」
「食材に垣根を作る必要はないと思う」
「イチゴとパセリのテリーヌを出すような一風変わったモダンフレンチ店が好きなんですが、そういう意外な組合せが好きで。食材に垣根を作る必要はないと思うんです」と語る田窪さん。
彼女がこれまでに作ってきた中で、最も変わったコロッケというのが「ゴボウシナモン」。「初期のものなのですが、おばあちゃん人気が高かったです。ハチミツをかけて食べると美味しい。土くささとシナモンが合うんです」聞くだけで気になってしまうコロッケを、これまでもこれからも作っていく。
皆んなに愛される町のコロッケ店
経堂に生まれ、長く世田谷で生活している田窪さん。この店の出店の際に、このあたりがいいのではと提案したのも彼女だったそう。おしゃれで革新的な店でありながらも、松陰神社前に店を構えたことで、地域の人にも愛される店となった。
「お年寄りにもお子さんにも愛されるのは、コロッケという商品の強みかもしれません。おしゃれに見えるのは、店構えだけですしね」と笑う。新たな解釈で攻めた提案をしながらも、どこかホッとする味わいのコロッケ。このバランス感が、大人も子どもも惹きつける魔法なのかもしれない。(記事:末松早貴 写真:鈴木心写真館)