写真を自分らしく撮り、自分らしく撮ってもらえる場所へ。
東日本大震災以降、僕は広告業界に携わって生きていくことにどこか息苦しさを感じていた。数ヶ月すれば業界はいつも通りに、いや、数日で、いつも通りに戻っていた。メールや電話は行き交っていた。僕はすぐに福島へ生き、母と東京にもどり、家族と京都に避難していた。部屋でテレビと部屋の天井を眺めてぼんやりこんなことを思っていた。
自分は無力だ
そんな最中でも仕事の依頼は続いた。ありがたかった。2週間もたった頃だったろうか。いよいよ東京にもどる。それに際して、みんなに会いたかった。話をしたかった。きっとみんなそう思っていたはずだ。だからそんな場所を作ろうと、フリーマーケットを開いた。義援金とか関係なく。とにかくみんなが顔を合わせる場所として。
当時お世話になっていた、アートディレクター、ミュージシャン、イラストレーター、編集者、陶芸家、いろんな人に声をかけて、みんながもの持ち寄った。盛況だった。そんな中で僕は、当時みんなが使い始めたSNS用のプロフィール写真撮影ブースをやってみた。そこにも長蛇の列が、あの、、、フリマの商品も、、、、販売しなきゃ、、、、。
たのしかった。一般の方とコミュニケーション取りながら、撮影していくあのテンポ感。そして実際、みんなのプロフィール写真が変わっていくのが嬉しかった。その人を伝える、名刺のような、表札のような、ブランディングの一部。写真では人の魅力を人に伝える、役に立てることが。
自分が好きな自分の写真をみんなに見せる時代がやってくる。
そこで確信した。そこにはデザイナーも、代理店も必要ない世界。被写体が、スポンサーであり決済者である。だから、大胆な提案をすることもできるし、わがままな注文がくることもある。あの広告の現場でときに散漫な連帯感がなく、信頼と緊張をチームワークでのりこえ、良い写真に向かっていく。
シンプルなコミュニケーションと、高い品質の写真。そう上野彦馬が撮影した坂本龍馬の写真のように、その人をずっと伝えていく写真になることもできる。なんだか、心が温かくなった、いや暑くなってきた。そんな写真の新しい未来を、いや、むしろ、もっとも古典的な「仕事」の一つであったはずだ。
心を伝え合うのがコミュニケーションなのだから。
鈴木、心、写真館。これ以外に名前はなかった。
年齢や時代をこえて。写真を初めて10年が経っていた。もう一つ挑戦を設けよう。記念日に撮るのは、普通だ。そうじゃない、撮影体験が最上級なら、撮った日を記念日にすることができるだろう。
僕にはそんな自信があった、なぜなら? 既存の写真館はあまりに古典的な思考と技術に傾倒していたから、そこで新しいチャレンジをするのは必然だった。スマホ、ネットワーク、そして写真、が新しい時代を迎えていたのだから。広告、写真館、教育、そんな写真のトライアングルを強固にすることで唯一の写真体験を生み出す。その楽しく驚きが溢れる、写真撮影のすべてをここに。
でも、まずは、お店にイベントに体験にきてちょ。
自分らしく撮りたい方のために、写真学校という場もつくっています。どちからでも、どちらもでも。
(文:鈴木心、編集:山田友佳里)